こってぃのどっこい楽しく生きている

人工透析をしながら楽しく生きてます♪

死に方と笑顔について②

死に際のお手本

 

こってぃです

 

昨日の続きで
何でわたし、死に際と笑顔に
こんなにこだわるのかを考えてみたのね

 

で、1番初めに死に直面したのが
まだ小学生にあがるかどうかくらい

 

うちは4世帯の大家族で100歳に近い
ひいおばあちゃんがいたの

 

寒い冬の日朝早くに母に起こされて
ひいおばあちゃんの寝室へ連れていかれて
裏のかかりつけのおじいちゃん先生がきて
御臨終です、って告げて

おばあちゃんと母が泣き出したことだけ覚えてる

 

 

わたしはよくわからず
いつもと同じように寝てるひいおばあちゃんが
何が違うのか、何で泣いてるのかな?
ってぽかんと見てた
前日の晩も普通に過ごしてたしね

 

それくらい穏やかで静かな死

 

 

その後、病気のために何十回と入院して
同室の人たちの死も目の当たりにした
とりまく家族も

 

子どもがいよいよ危なくなって
とり乱し泣き叫ぶ親もいたし
私たちがいるのを気にしてか
気丈に振る舞う親もいたし

 

小児病棟じゃなくなった後は
それこそ
いろんな病気の人や世代の人がいた

 

痛い痛いと叫び続けて
静かになったと思ったら息を引き取ってて
てっきり寝たとばかり思ってたから
看護師さんすぐ呼ばなかったの
今でも心に引っかかってるし

 

長い闘病のすえ、数値が良くなり
退院したその夜に激変して
また入院になって、おかえりなさい
ただいま、出戻っちゃった
とか言って笑ってたのに
翌朝ふらっといなくなったと思ったら
自ら死を選ばれていたり

 

うちのおばあちゃんも病気の痛みで
最期はとても辛そうだったし
おじいちゃんは病気と痴呆で寝たきりになってたし

 

 

たぶん
本当に天寿を全うして
老衰で普通に亡くなる人を
見ていないと
死って痛くて怖くて逃げたくなるものなのかも
しれない


その点、わたしは最初の死が
理想の臨終だったのが
ありがたい

 

理想のロールモデルを持つのは
生きてる間だけじゃなくて
死ぬことに対してもあった方がいいんじゃないかな

 

わたしはひいばあちゃんみたいに
日常の先にこの世を去りたいなぁ

 

だからこそ健康寿命って大切だなぁと思うし
自分の力で生きていく体力つけなきゃなって
思うんだよね

 

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